生い立ち
ガガーリンはモスクワ西方のグジャーツク市(1968年にガガーリン市に改称)に近いクルシノで生まれた。両親はコルホーズ(集団農場)の労働者であった。しばしば「両親は農民であった」といって労働者階級出身の英雄というガガーリン像を強調する表現があるが、実際のガガーリンの母親はインテリで読書家であり、父親も教養のある腕利きの大工であった。ユーリは四人兄弟の三人目で、幼いガガーリンの世話は姉が行うこともあった。他のソ連国民同様、第二次世界大戦が一家に大きな苦しみをもたらした。二人の兄は1943年にドイツへ赴き、戦争が終わるまで戻らなかった。少年時代のガガーリンへの評価は、まじめで勉強家だが、茶目っ気もあるというものだった。少年時代の数学の教師がパイロットとして従軍したことが、ガガーリンの生き方に影響を与えることになる。
金属工場の見習いとして働き出したガガーリンは優秀であったため、技術教育を受けるべくサラトフの学校へ送られた。そこで彼はエアロクラブに入り、軽飛行機での飛行を楽しんだが、徐々に飛ぶことの楽しさにとりつかれるようになった。工業学校を卒業したガガーリンはパイロットを志し、1955年にオレンブルグにあった空軍士官学校に入った。1957年にはオレンブルグで出会ったヴァレンチナ・ゴリチェヴァと結婚している。卒業後、ノルウェー国境に近いムルマンスクの基地に配属された。北欧上空は大気状態は不安定でパイロット泣かせの土地である。当時の記録によるとガガーリンの身長は158cmであった。
宇宙へ
1961年4月12日、ガガーリンはボストーク3KA-2(ボストーク1号として知られる)で世界最初の有人宇宙飛行に成功した。このときのコールサインは「ヒマラヤスギ」(ロシア語:Кедр)であった。後にメディアがガガーリンが飛行中に「見回してみても神はいない」といったと報じたが、その種の発言は記録には一切残されていない。ガガーリンを乗せた宇宙船は地球周回軌道に入り、大気圏外を1時間50分弱で1周しロシア領内の牧場に不時着した。
飛行中にガガーリンは自分が少佐から大佐へ昇進したというタス通信のニュースを聞いた。ガガーリンも喜んだが、このような発表を飛行中のガガーリンに伝えた本当の理由は、当時の政府高官がガガーリンが生きて帰還する可能性が低いと考えていたからだといわれている(初期のボストークは、大気圏に再突入後、高度7000mで飛行士を座席ごとカプセルから射出して一人パラシュートで降下させるという、大きな危険を伴うものだった)。
地上に無事帰還するとガガーリンは一躍「時の人」となった。ニキータ・フルシチョフとの対面ではガガーリンはこのような計画を成功に導いた共産党の偉大さを賞賛した。ガガーリンは宣伝旅行で世界各地を回ることになった。フルシチョフにとってガガーリンの成功は、通常兵器を犠牲にしてまで自ら推し進めたミサイル力増強計画の成果を示すものであった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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